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自然の脅威と美しさ、光と闇のドラマを圧倒的な画力で描いてきた漫画家・坂本眞一。本展のために描き下ろした漫画『イカロスの筆』では、J.M.W. ターナーが追求した「光」と芸術への情熱を描き出しました。かねてよりターナーを敬愛してきた坂本眞一に、画家としてのターナーの魅力、そして本作に込めた思いについて聞きました。全3回の連載でお届けします。

第1回ターナーとの出会い
第2回真実を描くということ
第3回『イカロスの筆』ができるまで
坂本 眞一×ターナー展

坂本 眞一(さかもと・しんいち)

漫画家。1990年「週刊少年ジャンプ」の新人賞でデビュー。文学や史実に着想を得て、幻想と現実が交錯する世界観を緻密に描く作風で知られる。極限の自然に挑む人間を描いた『孤高の人』で第14回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞。『イノサンRouge』で第24回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞。現在「グランドジャンプ」で『#DRCL midnight children』を連載中。

『イカロスの筆』あらすじ

19世紀のロンドン。ターナーの私設ギャラリーを訪れたある夫婦は、一枚の絵画の前で立ち尽くす。眼前に現れたのは、画家が大自然の猛威と対峙した記憶そのものだった。時代を超えて交錯する、光に魅入られた表現者イカロスたちの、果てなき挑戦の物語。

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坂本 眞一 『イカロスの筆』特別セット券
坂本 眞一 『イカロスの筆』特別セット券
上製本|A5版|90頁
Ⓒ坂本眞一
1,320円(税込)特設ショップで販売

第1回

ターナーとの出会い

坂本先生とJ.M.W. ターナー(以下「ターナー」)との出会いについて教えてください。

坂本眞一(以下「坂本」):時期ははっきりとは覚えていないのですが、今から15、16年ほど前のことだったと思います。実を言うと、当時はターナーという画家の名前すら知りませんでした。そんな僕が彼の代表作である《雨、蒸気、スピード――グレート・ウェスタン鉄道》(ナショナル・ギャラリー、ロンドン蔵)を見て、とにかく衝撃を受けました。嵐のなかを疾走する鉄道の「動き」そのものが絵に描かれていたからです。急いでターナーの本を買いに走りました。

坂本 眞一×ターナー展
坂本眞一。東京都内のアトリエ。

そこまで衝撃を受けたのはどうしてですか。

坂本:そんな絵画作品をこれまで見たことがなかったからでしょうね。衝撃を受ける一方で、戸惑いもありました。僕たち漫画家が動きを表現するときは、アウトライン(輪郭線)とスピード線、擬音を組み合わせるのが基本です。でもその絵は、画面全体が曖昧で、鉄道の形すらよくわからない。それなのに、鉄道は確かに動いている。「どうして、こんな絵が描けるのだろう」と、僕のなかで大きな疑問が湧き上がりました。

その疑問に答えは出たのでしょうか。

坂本:はい、答えは「対象物の外」にありました。

「対象物の外」とは具体的にどういうことですか。

坂本:描こうとする対象物の「外」には、光や大気、風といった存在があります。でもそれらは目には見えない。だからふつうは対象物を輪郭線で囲んで描こうとします。ところがターナーは違った。彼は目に見えないものを描くことで、対象物に迫ろうとしたのだと僕は考えています。その境地にたった一人で到達したのが、とにかくすごい。つくづく敵わないと思うと同時に、表現者として勇気ももらえます。

坂本 眞一×ターナー展
J.M.W. ターナー《荒海と難破船》 1840-45年頃 油彩/カンヴァス テート美術館 Photo: Tate

坂本先生が影響を受けた西洋画家はほかにいらっしゃいますか。

坂本:バロックの画家カラヴァッジョが好きです。暗闇のなかから対象を浮かび上がらせる光の使い方がドラマティックで、自分もかなり影響を受けていると思います。そしてターナーもまた光を扱う画家です。でもターナーは、カラヴァッジョとはまったく違う方法で光を描いている。面白いですよね。光や太陽の表現って、本当に作家の個性が出るんですよ。ターナーには、展覧会場で展示直前の自分の絵に赤いブイを描き足して完成させたというエピソードもありますが、これにもしびれます。本当に個性的で魅力的な画家だと思います。

坂本 眞一×ターナー展
J.M.W. ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》 1832年 油彩/カンヴァス
東京富士美術館 ©東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

本作品は東京会場のみの展示となります。

取材・執筆:橋本 裕子(gatto ファクトリー)|撮影:山本 倫子

第2回

真実を描くということ

本展の副題には「崇高の絵画」とあります。ターナーの作品世界を示す重要なキーワードの一つですが、坂本先生は「崇高」をどう捉えていらっしゃいますか。

坂本眞一(以下「坂本」):「崇高」という概念は難しいですよね。僕がターナーの絵を見てすごいと感じる理由の一つは、彼が大自然に対峙したときに感じた温度や光、風といった感覚が、時を経て、現代に生きる我々にも注ぎ込まれてくることです。それ自体が「崇高」なのではないかと、僕は解釈しています。

『孤高の人』では、坂本先生も大自然をテーマにされています。

坂本:そうですね。まだカメラがない時代は、山頂に立ったことを証明するのが難しかったそうです。でも、その人が登ったかどうかは、その人の「言葉」を聞けば、すぐにわかるという話を聞いたことがあります。自分で見て、聞いて、感じたこと。そうした体感は、それほどの力を持つのです。だから『孤高の人』では、クライマーの方々にたくさん取材させていただきました。自分の頭のなかだけで作らないようにする。それはいつも意識していますね。とくに『孤高の人』は、登山という命がけの行為を扱った作品です。だから嘘があってはならないと思いました。

坂本 眞一×ターナー展
坂本眞一『孤高の人』17巻(集英社)より

温度や光、風といったものは形がありません。ターナーも坂本先生も、目に見えない対象の表現に挑戦しているという共通点がおありですね。

坂本:クライマーの方々の体験をうかがい、それを絵に落とし込んでいく過程で面白いことに気づきました。真実に近づけば近づくほど、これまで使ってきた漫画の技法には収まらなくなってきたんです。例えば、音です。擬音――いわゆるオノマトペが薄っぺらく感じられるようになりました。音そのものをもっと真実に近づけたい。そこで思い切って、擬音を消してみました。読者自身の頭のなかにある音を呼び起こせれば、文字で書かなくてもいいのではないかと、考えたんです。コマと絵の力だけで、読者の頭のなかから音を立ち上げる。そのほうが、むしろ本当の音に近づく気がしました。ターナーも制約のある絵画表現で、いかに真実に近づくことができるかを模索し続けた画家だと思います。そこに、強い共感を覚えます。

坂本 眞一×ターナー展
巨大な氷塊を貨物コンテナに置き換えることで、落下の恐怖を直感的に伝えた。/坂本眞一『孤高の人』15巻(集英社)より

ターナーが生きた時代と現代とでは、社会も価値観も大きく異なります。それでも彼の作品が時代を越えて多くの人々の心に響くのはなぜだと思われますか。

坂本:僕自身も現代を生きる人間として、時代や価値観の変化にたくさん出会います。そこで感じた疑問や、今ある常識を疑う目線を作品に込めたいと思っています。ターナーも自分が生きた時代の空気を作品に封じ込めました。でも時代がいくら変わろうとも、その奥にある人間の本質は変わりません。ターナーはその本質をしっかりと描き切った。だからこそ、時を越えて多くの人々を魅了するのだと思います。

J.M.W. ターナー《グリゾン州の雪崩》 1810年展示 油彩/カンヴァス テート美術館 Photo: Tate
J.M.W. ターナー《グリゾン州の雪崩》 1810年展示 油彩/カンヴァス テート美術館 Photo: Tate

取材・執筆:橋本 裕子(gatto ファクトリー)|撮影:山本 倫子

第3回

『イカロスの筆』ができるまで

本展のために描き下ろされた『イカロスの筆』は、どのような想いから生まれたのでしょうか。まず、タイトルに込めた意味から教えてください。

坂本眞一(以下「坂本」):「イカロス」は、ご存じの通り、太陽に近づきすぎて翼が溶け、海へ堕ちていったギリシャ神話の登場人物です。イカロスは危険だと知りつつも、太陽に近づかずにはいられませんでした。その姿に、描かずにはいられない創作者の衝動を重ねました。ターナーは、いくら批判を浴びようとも、自らの信念を貫き、筆を握り続けた画家。その気持ちは、僕もよくわかります。

坂本 眞一×ターナー展
本展のための描き下ろし漫画/坂本眞一『イカロスの筆』より

それは、創作者の「業」のようなものですか。

坂本:そうですね。僕にも思い当たる節がたくさんあります。一方で、やはり人間ですから周囲からの批判は恐ろしい。表現するということは、そんな恐怖との戦いの連続です。でも僕は、守りに入ってしまう自分が出てくるほうがずっと悲しい。ターナーからは、本当に描きたいものを描くという、純粋な気持ちをあらためて教えてもらった気がします。今取り組んでいる連載も終わりに近づいているこのタイミングで、ターナーと真正面から向き合えたことは、大きな財産になりましたね。

本作を制作したことで、何か新たな発見はありましたか。

坂本:今回、過去の偉大な先生方が漫画で描いてきた太陽を、あらためて探してみたんです。同じ太陽を描いているはずなのに、皆さんまったく違う。それぞれの作家性がにじみ出ていることに感動しました。その気づきを、『イカロスの筆』のなかに自分なりのかたちで落とし込んでいます。多彩な表現で描かれた太陽や光を、一つの作品のなかで見せる。こうした試みは、これまであまりなかったと思います。ターナーという画家が持つ求心力がなければ、実現しえなかったことだと感じています。どんなかたちで登場するのか、ぜひ楽しみにしていただきたいですね。

J.M.W. ターナー《捕鯨船エレバス号に万歳! もう一頭獲ったぞ!》 1846年展示 油彩/カンヴァス テート美術館 Photo: Tate
J.M.W. ターナー《捕鯨船エレバス号に万歳! もう一頭獲ったぞ!》 1846年展示 油彩/カンヴァス テート美術館 Photo: Tate

最後に、ターナー展を楽しみにされている皆さんへメッセージをお願いします。

坂本:現代は展覧会場に足を運ばずとも、インターネットなど、さまざまな方法で絵画作品を見ることができます。でも本物と一対一の関係を結べるのは、やはり展覧会ならではです。美術や漫画に限らず、作家は作品にさまざまなメッセージを込めています。ただ鑑賞者はそれを、一度に全部読み取らなくてもいいと僕は思うんです。自分の経験や考え方が変われば、作品から受け取るものも変わっていく。そのときどきに新しい発見があることも、作品に対峙する楽しさの一つですよね。ひょっとしたら、ターナーの絵にも、まだ誰も気づいていないものがあるかもしれない。ぜひ会場で、ご自身なりの発見をしてみてほしいです。そして、時代を越えた「真実」を体感していただきたい。僕もそれをとても楽しみにしています。

書籍では、ターナー展鑑賞後や『イカロスの筆』の読後に楽しめる、ロングインタビューを掲載しています。

取材・執筆:橋本 裕子(gatto ファクトリー)|撮影:山本 倫子